「あ、除夜の鐘」
「いや、さっきっから聞こえてたじゃん」
「うそ!?」
「…んなことで嘘ついてどーすんだよ」

両の手に持ったマグカップを口に運びながら
向かいに座った彼女は白い息を吐き出そうと
懸命に口を大袈裟に開いていた。

ぶっちゃけ、ちょっとアホだけど
結構可愛い彼女と一緒に過ごす年末は
今年で多分20年目くらい。
そう、つまり生まれた時からずっと一緒ってこと。

幼馴染みという言葉じゃ括りきれないような
関係で、だけども恋人までとも言い切れない。
色々あったけど、気付けばこの日はいつもこいつと一緒にいた。

「ねぇひとみちゃん」
「ん?」
「キスしよ?」
「ミルク臭いからイヤだ」

20年目くらい。
つまり、20年くらいもこんな事をくり返してるってことだ。

 


+++ たとえば夜の、朝への道 +++

 


記憶に残ってるっていうよりも、写真に残っているから
記憶に残っているという感じだろう。
気付いた時からあたしの写真の隣には彼女、
そう、梨華ちゃんがいた。

ちょんちょこりん頭の梨華ちゃんの隣で、まだ幼くて可愛かったあたしが
キョトンとした顔で写真に写ってたり、口の周りに沢山ケチャップつけて笑ってたり。
そんなあたしの隣に写る梨華ちゃんは、何故だかほとんどと言って良い程
可愛く見える角度に首を倒して、ニコッと笑っていた。
それは何年経っても変わる事はほとんどなかった。

さすがに中学生にもなると、昔のようにいっつもべったりという風じゃ
なくなったけれど、たまに買い物行こうとして道で会ったりすると
普通に話せたし、そのまま一緒にスーパーなんかに行ったりした。

そのまま一緒に夕飯を食べる事だってしょっちゅうだったし
そのまま一緒に寝る言だって多々あった。
そして色々な事に興味が湧いてくる年頃だったってのもあったかもしれないけど
そんなよくある日常の一コマで、あたしは梨華ちゃんとキスをした。
なんとなく、どんななのか気になって。

その時は、あたしも梨華ちゃんもテスト勉強をしていた。
学年が一つ上で、そのうえあたしより頭の良い梨華ちゃんに
部活バカだったあたしはよく勉強を教えてもらっていた。
…テストの前だけだったけど。

ともかく、そんな風にして勉強をしてた日。
あたしの部屋に置かれた小さめなテーブルでノートをぶつけあって
走らせていたペンを止めてふと顔を上げたら、目があった。
それから梨華ちゃんは『どうしたの?』っていう風に
写真と同じような角度に首を倒した。

興味があったっていう言葉だけじゃないけれど、
あたしの視線は梨華ちゃんの瞳と唇にいったりきたり。
それまでは、何となくキスってどんなだろーとか
梨華ちゃんの横顔とかをバレないように見ながら
キスしてみたいなーとか思ってたあたしは
ゆっくりと彼女に顔近付けていった。


ちっこい頃から一緒にいたせいか、何となくお互いが考えてる事は分かった。
だからきっと、あたしがキスしてーなーって思ってた事くらい分かられてたと思う。
梨華ちゃんの気持ちは、よく分かんなかった。
実はその頃から梨華ちゃんっていうのは、妙に隠し事が上手くなっていて、
あたしに気付かれずにドッキリ企画とかをするのが得意になってた。
だから気持ちはよく分かんなかったけど、イヤがってないってことくらいは分かった。


お互いの息が触れあうくらいの所までくると、彼女はそっと目を閉じた。
あたしも彼女の唇とあたしの唇が触れあう寸前に目を閉じて、
まだキスのしかたも知らないあたしは、只そっと唇を彼女の唇に合わせた。

幼いキスは、それだけで終わりを迎え、その後はお互いに
黙々とペンを走らせて勉強に集中しようとしていた。
まぁ二人とも集中なんて出来なくて、翌日のテストでは
梨華ちゃんは珍しく凡ミスをして得点を落とし
あたしはいつもよりもさらに悪い点数をたたき出した。
テスト中、梨華ちゃんの唇の感触が忘れられなくて
その事ばかり考えてたなんて言い訳は…したくないけど。

それからかな。お互いにキスしたくなったらチュッてするようになったの。
もちろん最初は何処かぎこちなくて、まだまだ幼いキスだったけど
時間が経つにつれ、スキルアップなんかしちゃたあたし達は
昔テレビで見て恥ずかしくなったようなキスさえするようになっていた。

それでもあたし達は付き合ってたワケじゃなかった。
お互いに付き合ってる人がいた時もあったし
あたし達自身、自分達の関係を訊かれた時は幼馴染みって答えてたし。
だけど、お互いに付き合ってる人がいた時でも
あたし達は普通にキスとかしちゃってた。

梨華ちゃんが好きかって訊かれたらYESと答える。
それが恋とかの好きかって訊かれたら、きっとあたしは答えに迷う。
一緒にいて当たり前だし、これからもそんな風にして一緒にいるんだろうと
いうのは妙に確信めいてあったりするから。
人がそれを恋って呼ぶならそうなのかもしれない。
けど、あたしの中ではこういうのを言葉にするのは難しいのだ。

ともかく、彼女とは四六時中ってワケじゃないけれど一緒にた。
高校を卒業して働きだした梨華ちゃんと、バレーボールの推薦で大学まで行ったあたし。
お互いの時間は昔以上に噛み合わなくなっていたけれど、
大晦日の日だけは、どんなにお互いに予定があっても会っていた。
いつの間にか出来ていた不思議なルール。
それはあたしが一人暮らしをはじめても変わる事はなかった。

昔、梨華ちゃんの家はあたしの家の右斜向側にあった。
今あたしが住んでる家と梨華ちゃんの家は
時間にしたら二時間近く離れた所にある。
梨華ちゃんが勤める職場との時間にしたら30分くらいだけど
それでも、彼女はこうやって大晦日の日になるとやってくるのだ。

一人暮しをはじめてからもう2年。
年末年始に実家にも帰らず、部活の合間にバイトをしてる
あたしの年越しの相手は、ずっと昔っから変わらない彼女だった。

 

「今年ももう終わっちゃうねー」
「んだなー」

紅白も終わり、テレビでは色々なチャンネルでカウントダウンなんちゃらを
開始ししようと、バタバタと年の終わりと年のはじめを告げようとしている。
何処のチャンネルにしてもそれは同じようなもので
何だかそういうのも疲れるなーって思ってリモコンに手を伸ばしてテレビを消した。

静かになった部屋に聞こえてるのは時計の針の音と
除夜の鐘の音とコタツのジーッて音くらい。
静かだけど、穏やかで、居心地が良い空間に、
あたしはそっと目を閉じてコタツの上に顎を乗せた。

「今年も健康に過ごせてよかったね」
「んーだねー。相変わらず黒くてよかったねー」
「ばか。年内ギリギリまでバカ」

来年であたしも彼女も21になる。
今日の大晦日は記念すべき20回目の大晦日。
まぁ記念すべきとか言っても、別にそんな記念すべきなんて思ってないけど、
ともかく20回目なのだ。

「ひとみちゃん」
「んだー?」
「来年の抱負をズバリどうぞ」
「梨華ちゃんとエッチすること」
「バッカじゃないの」
「いいじゃん。今度ヤろーよ」

でも、思う。
20回目も21回目も30回目も50回目も
きっとどれもが記念日で、そんなたいした記念日でもないんだろうと。
残念な事にあまり身長が伸びなかったあたしと梨華ちゃんの身長差は
実はちっこい頃からあまり変わっていない。
それと同じで、いつまでも二人、きっとこんな感じで変わりなく進んで行くんだろうと。

「もぉ、たまには真剣に答えてよー」
「ちょー真剣。マジ真剣」

夜を越えて、朝を越えて、また夜を越えて進んでいく時の中で
まだまだ見えないモノとかって沢山あるけれども、
それでも隣に彼女がいるって事はこの先の未来で見えてる事。
それってつまり、どんな道に進んで行こうと彼女を見失う事はないってこと。
色々あったから、その事だけは自信がある。
夜から朝に向かう道があるように、あたしの道には梨華ちゃんがいるってこと。
つまり梨華ちゃんの道にもあたしがいるってこと。
だからさ───

「結婚しよーぜー」
「だからエッチしようとか言うの禁止だよ?」

あたしは今のこの空気が気に入っている。
だから来年もこうして過ごしてたいと思ってたりする。
いつの間にか決まってたルール。
それはあたしの中で結構楽しみなことで、実家に帰らないでもいっかなーとか
思っちゃうのは彼女と二人で過ごせるからってのもある。

「やっぱし初夜は豪華なホテルより二人の寝室がいい?」

いつかは見える終わりの道の向こうにも道が伸びてるとするのなら、
その先までも、ずっと一緒にいたいなーって思ってるんだ。

「あーでも梨華ちゃんの場合お姫さまベッドとかがいいのかなー」

あたしの考えてる事は、きっと今でも梨華ちゃんには丸分かり。
外じゃ複雑だとか、良く分かんないとか言われてるけど
梨華ちゃんの前じゃ素の丸出しで、今さら隠す事もないかなって思ってるから。

「でもさ、去年行った沖縄のホテルみたいな所でもいいかもねー」

だから、そろそろもうちょっと前に進んでみちゃわない?
ほら、年も明けたことだしさ。

「…ひとみちゃんの部屋がいい」

20回目だとか、21回目だとか、21世紀だとか関係なしなし。
あたしの差し出した手を彼女が握ってくれて
道を駆け出しちゃうくらいなウチらは、きっとどこまでも一緒に行けるよ。

俯いちゃって顔を赤くした彼女の唇まではコタツが邪魔で遠いから
ちょっと到達まで時間がかかるけど、すぐ側の手とか足にはタッチできる。
触れられるよ、すんげーはやく。
そんな距離にあたしはいるから。

投げたみかんを梨華ちゃんの頭に当てて顔を上げさせ
真っ赤な顔にうんと上半身を伸ばしてキスをする。
やっぱしちょっとミルクくさいけど、梨華ちゃんならまぁいっか。

「とりあえず初詣行かない?」
「…行く」

寒いコタツを抜け出して、真っ赤な彼女を連れ出して
今日も来年もその先も、ずっと一緒にこうして手を繋いで行けるはず。
ってか、そうするから。

この先に見える不確定な未来の日々に、
夜と朝を繋ぐ道のように一緒に道をつくっちゃおう。

「好きだぜべいべー!」

御近所迷惑よろしくで大声で叫んで、
手を繋いだまま駆け出した夜道の風は
今までの最高の夜風をまた一つ更新した。