突然秋の気配を感じるようになったのはついこの間のこと。
暖かすぎる秋の入り口を迎えてしまったせいか、木枯らしが吹いたという
ニュースを聞いても、しばらくは秋を感じる事が出来なかった。
そんなあたしが少し秋を感じるようになったのは、ボールを持って公園に向かった時だった。


++ 落ち葉舞うその時 ++


撫でると傷が分かるボールを土の地面に置き、足の裏で転がしながら少し走る。
夜の街灯が小さな公園を照らす中で、ひたすら体を動かす。
静かな住宅街に、だんだんと荒くなっていく自分の息遣いが響き、
着ていたジャージの下や被っていた帽子の中が熱を帯びていく。
進めば進む程に見えてくるのは足りないもの。
費やす時間は必然と増えて行き、自然と足はこの公園に向かっていた。


掻いてしまいたくなる程チリチリしている腕や太腿を
抑えるように両手を太腿につき、前傾姿勢になりながらベンチに座ると、
一気に疲労が体を走り抜けた。


首に巻いておいたタオルを口に当てて、右手を伸ばして
自分が飲み物を持ってきてなかった事に気付く。
「…あたし準備わりぃなぁ」
喋る言葉に、熱を含んでいるのが分かった。
熱くなった自分の頬に伸ばした手を持っていき、
目や鼻を押さえてから帽子を取った。

こんな時間だ、きっと誰もこんな公園通らないだろう。
それにこんなジャージ姿の自分に誰も目もくれないだろう。

そんな事を思いながら両足を伸ばして体を曲げていたら、
聞き慣れた声が静かな公園に響いてきた。
「あ、いたいた。やっほーい」
その場違いに高い声は、夜の闇に溶け込むどころか
街灯を一つ増やしたような感じ。
そう、あんな声誰も間違いやしない。
「…梨華ちゃん」
けど、どうしてこんな所に?
タオルを顔からはずし、顔を公園の入り口に向けると、
こんな寒いのにスカートを履いた梨華ちゃんが
テテテッと小走りにやってきてあたしの目の前に立った。

「さっきよっすぃの家行ったら、おばさんが教えてくれたの」
いや、それは別にいいんだけど、ってか、突然どうしたの?
来るなら携帯に連絡くらい入れてくれれば迎えに行くかなんかしたのに。
「んー、でも別に最初は来るつもりなかったから」
そう言って梨華ちゃんは笑った。

彼女の家とあたしの家は、そんな近い距離にあるワケじゃない。
あたしの家の方に来るには少しは電車に揺られなければいけないくらいだ。
それに確か、今日は午後オフとか言ってなかったっけ。
何でこんな時間にこんな場所まで来たんだか。

「…まぁ、とりあえず座れば?」
隣をポンポンッと叩いて少し体をズラし、
足下にあったボールを手の中におさめる。
梨華ちゃんが隣に座るのを感じながら、ボールの砂を
手で払ってお腹らへんで抱えた。
「寒くなったねー」
「本当、寒くなるのアッという間過ぎ」
少し動かないだけで、汗をかいた体は冷えていく。
さっきまで前髪を張り付かせていた額の汗はひき、
まだ濡れて乾いていない前髪がほんのりと冷えている。

熱というのは、どうも引くのが早いらしい。
いや、そうじゃない場合もあるけど。

何となく彼女の方を向けなくて、手の中でボールを遊ばせながら
木々が作る公園の壁を見つめた。
彼女との熱が引いてしまって、もう随分の時が経っていた。
いや、熱が終わってしまったというのが正解か。
終わるキッカケはまぁ色々あったけど、終わってしまって、終わらせてしまった。

最初は意識をし過ぎて交わせなかった会話も、時間の経過と、
それと、彼女が頑張って接してきてくれたせいで
いつからか昔のように交わせるようになっていた。

あたしはそれが少し嬉しくて、少し悲しかった。
もう戻れないのかなっていうのと、また話せたっていうのが絡みあってたから。

友達とも違う微妙な関係なウチら。
よく皆が言う家族のような、戦友のような、そして今じゃ
かけがいのない仲間でもある。
なんて言うか、終わったって、終わりきらない関係だ。

熱が終わってしまった当初はそうは思わなかったけれど、今じゃこんな風に
一緒に仕事が出来て、一緒にプレーが出来るのを嬉しく思っている。
こんな風に思えるのは、あたしが少しは大人になったからかな。
…なぁんてな。

「よっすぃ、寒くないの?」
「寒くないと言ったら嘘になる」
「じゃぁ一度帰って着替えてくれば?」
「いや、いいよ。そんなスッゲー寒いってワケじゃないし」
こんな事を言ってるけど、それは少し嘘で、少し本当だ。
二人の間の熱が終わってしまってから、こうして夜彼女があたしの家のまで
訪ねてくるなんて事なんてなかったから、少しどころか、結構気になっていた。
「ダメ、風邪ひいちゃうといけないから着替えてきて」
「いや、ほら、だってあんまゆっくりしてると終電行っちゃうべ?」
昔ならそのまま泊まって行ったって良かったけれど、
いや、あたしは今でも良いって言えるけど…。
「大丈夫だよ。いざとなったらタクシーで帰れば平気だから」
梨華ちゃんはそう言ってあたしの腕を掴みながら立ち上がった。
引っ張られる様に立ち上がると、その拍子にボールが音をたてながら
弾んで転がっていった。

「待ってるから、行ってきて。
 これじゃぁゆっくり話せないじゃない」

いつかのように彼女は少しお姉さんぶってあたしを見ると
背中に手を回し、力を入れてあたしを押す。
その力に逆らわなかったあたしは、数歩進んでから立ち止まり、
未だに足に残る疲労を感じながら後ろを振り返った。

梨華ちゃんはまるで何もなかったかのように
転がったボールに向かって歩いている。
ブーツとスカートの間からのぞく足は寒そうで、
思わずあんただって寒そうじゃんって言いたくなった。

 

 

いつの間にか出来ていた彼女との距離。
それはいつしか消えていたと思っていたけれど
こんな状況になると、実は消えきってなかった事に気付く。

年単位の月日が流れたにも関わらず、今だにあたしは彼女を気にかけている。
あの温もりを思い出すのが辛くて、昔程近付く事が出来ないくらいに。

「…あのさ」

彼女が夜にあたしの家を訪ねてこなかったのと同じように、
あたしも彼女の家の扉を一度も叩く事が出来なかった。
何度か家の前まで足を運ぶことはあった。
だけども彼女がいるであろう部屋を見上げる事しか出来なかった。

「なーに?」

本当はまだ好きだったのに、好きじゃないなんて言って、
事務所からの圧力に刃向かう事なく、あたしは、終わりを選んだ。
そして彼女も、終わりを選んだ。

「…あの、さ」

それは正解で、それは間違いだった。
あの時の答えがあったから今があるのかもしれない。
それは誰にも分からない。
だから正解だったかもしれない。
だけども、あたしの中にあるこの気持ちは、
あの時の決断の時を今も夢に見せる程に残っていた。

「寒ぃから、一緒に来ない?」

いくら気持ちが残っているとはいえ、あの時の言葉を取りかえす事は出来ないし、
そんな事はしちゃいけないと思って、ずっと気持ちは伝えずにいる。
いや、きっとこの先も伝える事はないだろうと思ってる。
それでも引ききれなくて、あたしは帽子を取りに行くフリをして
進んだ分以上に歩数を進め、しゃがんでボールを掴んでいた彼女に近付いた。

こうやってしゃがんでいると、彼女はさらに華奢に見える。
長い髪が風に揺られて顔にかかるらしく、彼女は髪を耳にかけた。
そんな仕種なんて見なれているはずなのに、
突然やってきた彼女のせいで、今のあたしは
たったそれだけの事にも胸をドキドキさせている。
抑え込もうとしている気持ちが、あたしの意思とは反対に暴れ出す。

もっと何気ない素振りで、もっと今まで同じように、
意識すれはする程空回りする事は分かっているけど、
それなのに上手く出来なくて、まるで数年前に戻ったよう。

あたしは自分の中で起こるこの突然の出来事に対処しきれていない。
どうにかしなきゃって思う反面、ずっと心の中で願っていた
どうにかなってくれっていう気持ちが次から次へと溢れてくる。

このまま彼女が断ってくれればそれでいい。
そうしたらきっとこの暴走しそうな気持ちは治まるはずだ。
そうしたらきっと、また今までのように普通に過ごせる。
時間をかけて、修復して築き上げてきたモノを、壊さないですむ。

 


相変わらず自分は卑怯だなぁなんて事を頭の片隅で思いながら
梨華ちゃんの少し後ろで立っていると、しゃがんだまま何も言わなかっ
た彼女が小さくため息をついた。

「…本当、よっすぃはたまに私より空気読めないよね」

 


振り向く事なく立ち上がり、空を見上げるように頭を上げる。
大きく息を吐くと、白い息が昇っていく。
彼女は持っていたボールを胸で抱えると、笑いを含ませながら呟いた。

「やっぱり、来るんじゃなかったな」


彼女が振り返り、あたしを見る。
ドキッとした言葉に固まっていたあたしを見る。
薄暗い公園の中で、お互いの視線がぶつかって
様々な事が頭の中を駆け抜けていく。
そして、その答えを打ち消そうとする。

「やっぱり、揺らいじゃうもん」

彼女は笑った。
眉毛をハの字にして。

もう気持ちを打ち消すことなんて出来なかった。

 


腕の中に彼女を抱き締め、あたしと同じくらいに
冷たくなっていた体をきつく抱き締める。
泣きそうになる感情を押し殺しながら
彼女を頭を胸に抱いた。

きっと彼女もあたしのように何度も足を運んだんだ。
叩けない扉を前にして、何度も向かってきてくれようとしたんだ。
そういう事が、冷えきった彼女から伝わってきた。

 


彼女を抱き締めたあたしは、何も言う事が出来なかった。
それでも、おずおずと背中に回されていた腕に少し力が入ると
それに答えるように腕に力を入れた。
あの日の間違いを、あの日の嘘を伝えるように。

彼女も同じように何も言わなかった。
だが、少し強い風が吹いて落ち葉を舞わせると、
彼女は少しだけ体を離して下を向いた。
「本当はね、よっすぃん家まで行かなかったんだ。
 近くまで行って、きっとまた何も出来ずに帰っちゃうん
 だろうなぁなんて思いながら歩いてたらね、ボールを
 持ったよっすぃが見えたの。でもさ、声なんて
 かける事出来なくて、何度も駅の方に足を向けたの。
 だけど、今度は帰る事も出来なくて…」
表情は見なくたって分かる。
お互いに微妙は顔をしているはずだ。
あの日ついたお互いの嘘を分かっていながらも認めて
進んだ未来が今だから。

その未来を生きているあたし達の環境は、あの日と比べると随分と変わっていた。
それはお互いに築き上げた未来で、そしてそれなりに良いと思えるカタチだった。
心に嘘は、ついていたけれど。

今この瞬間にこのカタチを崩してしまったらどうなるのだろう。
そう考えた事は一度だけじゃなかった。
けれども引けない所まで来ていたあたし達は、一人の我が侭で全てを壊す事なんて出来ない。
だから触れあっちゃいけないと思っていて、それを守る事で昔を肯定しようとしていた。
けれどもそんな頭の中だけの考えは、彼女を目の前にしたら薄れていった。
そしてずっと抑えていた気持ちが、自然と言葉となって流れでた。


何処かの映画のように、この後すぐに口付けを交わす事なんてなかったけれど
あたしはしばらく彼女の体温を腕の中で感じていた。

あの日出した答えで今があるなら、今の二人が出した答えで
また新しい未来がうまれるだろう。
あの日、立ち向かうことが出来なかったあたし達だけど
今度はきっと二人で手をとって立ち向かっていけるだろう。

お互いを想っていた期間に色々な事があった。
それでもこうして今が迎えられたって事は、
きっとこの先何があったって大丈夫。
二人なら、きっともっと大丈夫。

遠回りをしたけれど、こうしてまた近くにいる事が出来たから。


木枯らしが吹き、本格的な秋がやってきた。
気付けば落ち葉が舞い、街には乾いた葉がたてる音が聞こえるようになっていた。
そんな事にも気付かずに毎日を送っていたあたしに、秋の到来を教えてくれたのは彼女だった。
そして、彼女に再び近付けさせてくれたのは、落ち葉の舞う、こんな季節だった。