***


いつも、いつも一緒にいた。
だから、離れるということは辛く、悲しく、打ち明ける勇気すら起きなかった。

 

***

出会いは高校の時だった。
学年は一つ違ったけれど、無理矢理連れていかれた生徒会室で出会ったのは一つ年上の彼女。
高い声は空気を凍らせる力を持っていて、優しい眼差しはいつしかあたしの心を奪っいく力を持っていた先輩。
それが、梨華ちゃんだ。

となりにいたら落ち着いた。
喋っていなくてもイヤな空気にならなかった。
彼女の隣は、すごく心地よかった。
だから自然と距離は近付き、あたし達は毎日のように一緒にいた。
登校する時も、下校する時も、休みの土日も、部活の日も。

一年早く卒業した彼女。
大学が違ったから追うようにって言ったら間違いかもしれないけど、あたしも無事に高校を卒業して桜が咲く道を歩いた。
お祝に来てくれた彼女と一緒に、春の穏やかな陽射しの中をゆっくりと。
早いうちに気付いた恋心。そしてその恋心よりも前からあったあたし達の繋がり。
出会ってからまだ数年。
だけど彼女はあたしにとって無くてなならない存在で、いなくなってしまうことが考えられない存在になっていた。

そんな彼女は今日、旅立つことになっている。
あたしの知らない土地、遠い大地へと空を飛ぶことになっている。

それは突然だった。
冬の日の夜で、寒い日の夜。
いつもみベッドの上でふざけて梨華ちゃんの髪をくしゃくしゃにしていた時だったかな。
ともかく、何も構えなんか必要なさそうだった時。

『私ね、来週からアメリカ行くんだ』

まるで何処かに買い物行ってくるという口ぶりで、あたしの手の下から声を出し、
驚いて固まるあたしの手から抜け出した彼女は、ベッドから降りてスカートのシワを手で伸ばした。
もう全部手続きが済んでいること、冬休みに入ってすぐに行くのはずっと前から考えてたってこと。
多分他のことも沢山話してくれてたと思う。
だけど、全然覚えてない。
『なんで言ってくれなかったんだろう』とか『どうして』とか浮かんでくる疑問は沢山あったけど、
それは全部その時から後の話しだ。
それ程に現実感のない言葉はあたしの思考を一発で麻痺させて、あたしの動きを奪った。
違う意味で、高い声は空気を凍らせた。


それから梨華ちゃんが家に帰るまでのことも、実はよく覚えていない。
どうやって帰ったとか、靴はいつもみたく右足から履いただとか、優しく握られてた手が
いつほどけたのかとか、全部覚えてなかった。


それまでのあたしは、どうやって気持ちを伝えようとか考えたことがなくて、
なんていうか、ずっと、こうやって過ごしていけると思ってたからかもしれないけど、
『好き』という言葉を口にすることが出来ないでいた。
むしろ、する必要はないとすら思っていた。
あたし達は何処までずっと一緒にいれて、いつまでもこうして時間を過ごしていく。
そんな甘い考えを持っていたから。

だから毎日を過ごしていく中で焦ったりした。
だけど、何も出来なかったっていうか、しなかった。
変わらない笑顔であたしの前で笑ってるから、実は来週になってもアメリカなんて行かないんじゃない?
そんなこと思ってみたり、いつもみたくあたしの部屋に来てベッドに横になって本読んでるから
この前の出来事は夢なんじゃない?なんて思ったりした。
だけども確実に日は過ぎていく。
変わらない毎日を送っている中で前と違ったことをしているとすれば、
それは夜が来る度にカレンダーを見て、朝が来る度に太陽を睨んだということだろう。

気持ちの整理もつかないままに時間は過ぎ、気付いたらやってきた今日のこの日。
カレンダーの日付けの所を真っ黒で塗りつぶしたこの日。

送りは地元の駅まででいいと強く言う彼女に何も言えず、あたしは駅までの道を歩きながら
彼女のトランクの後ろを見ていた。
ふざけて繋いでいるうちに繋ぐことが自然になった手を、どうやって握ったらいいのかなんて考えて。

まだ小さな子供のようなあたしと、とっくに大人になってしまっていた梨華ちゃん。
ずっと見ている世界も未来も一緒だって思ってた。
あたし達の後ろには一緒の過去があって、あたし達の前には一緒にいる未来がある。
そんな気がしてて、何処かで梨華ちゃんもあたしと同じように思ってくれてると思ってた。
幼稚な考えはあたしの夢。
目を閉じて想像する二人の未来。
恋人でもないあたし達を描いたあたしの夢の世界。
それが、今は想像出来ないんだ。
目を閉じたら消えてしまいそうだから一瞬の瞬きだって本当はおしいと思ってる。
そんなこと言えないけど、思ってる。
だからトランクをずっと見てた。
落ち着きなく動く視線なんて、気付かれたくなかったから。
なんていうか、ずっと、最後まで今までみたくするのがいいと思ったから。

だけどトランクから視線を上げて梨華ちゃんの背中を見たら、今まで全然涙なんて出なかったのに、突然泣きそうになった。
ずっと見ていた背中だったのに、すごく遠くにある方に見えたから。

「…ひとみちゃん?」

追いかけたら近付くのかな?
それとももっと遠くに行っちゃうのかな?
ねぇ、なんで何も言ってくれなかったの?
相談とかさ、途中報告とかさ、そんな話しがあることとかさ、何で全部黙ってやっちゃうんだよ。
梨華ちゃんにとってあたしってそんなちっぽけな存在だったの?

夜ベッドに入るとずっとずっと考えてた。
だけども朝が来て会えば、あたしはまたいつもと同じように笑った。
そうしなきゃ今までの繋がりも切れちゃう気がして、梨華ちゃんに変な気も使わせたくなかったから。

…寂しいっていうか、悲しい。

梨華ちゃんに恋をしていたこと、これがいけなかったのかな。
いつまでも友情だけの繋がりだったら、もっとあたし達は深く繋がってられたのかな。

ねぇ梨華ちゃん。
教えてよ、いつになってもなんて言えないよ、今教えてよ。

「ひとみちゃん?」

そうやって名前で呼ぶの、許してるのは梨華ちゃんだけ。
気付いてたでしょ?
それは特別な魔法みたいなもんなんだよ?
梨華ちゃんだけに許したあたしの魔法。
気付かれたくなかったなんて思ったワケじゃないの。
何処かにメッセージを折り込んで、少しずつ届けていたんだよ。
だからいつしか心が近くなっていって、梨華ちゃんの手を引くのを自然と任せてくれた時、
あたしは嬉しかったの。
ぎゅっと握ることを、他の人にあまりさせない梨華ちゃんが、あたしの手を握り返してくれたから。
だからもっと繋がっていたと思ってたんだよ。

「…。」

泣きそうだった。
だけど心に誓ったから、あたしは泣かない。
だけど、歩けないよ…。
歩くとお別れに近付いていくことが分かってるのに、そこに近付いていくなんて、出来ないよ。
だって寂しいもん、悲しいもん、悔しいもん、大好きだもん。

色々な感情が溢れてきて涙を押し上げようとして、あたしの足を地面にくっつかせていた。
多分それは時間にして数十秒。
その間に梨華ちゃんは一人で歩いて行くワケでもなく、立ち止まったままあたしを見つめていた。
そして何も言えずに立ち止まることしか出来ないでいるあたしの手を、梨華ちゃんは優しく包んで引っぱった。

梨華ちゃん、冷え性なはずなのに今日は手が温かいんだね。

たったそれだけのことだったのに、梨華ちゃんが違って見えた。
もっと、遠くに感じてしまった。

 

 

定期を使って改札を抜ける時も、隣同士でずっと繋がれていた手。
他の人に迷惑をすごくかけているような改札の抜け方。
片手で大きなトランクを前に出してから切符を入れる作業は大変なはずなのに、梨華ちゃんの左手は
あたしの右手を離さなかったから、あたしも右手を離さずに、繋がったままで左手で定期を吸い込ませた。

エスカレーターに乗りながら、繋がった手を見つめてみた。
前と変わらない繋ぎ方で、いつもと違う手の温度。
これを忘れない為にはどうしたらいい?
迫る時間に怯えながらも、あたしは必死に考えた。

訊きたいよ。
今でも何も話してくれなかった理由。
伝えたいよ。
あたしが今どんな風に思ってるか。

だけども全部ダメなんだ。
言葉にしたら涙が出るから。
だからぐっと我慢をして、いつもと同じように笑って送ろうってもう一度強く思った。
臆病だから、伝えられなくて、訊けないから、だからせめて梨華ちゃんの中に残るあたしの最後の思い出が
いつも見ていてくれた笑顔であるように。

…でも、上手いこといくワケないんだよね。
全然上手く笑えなくて、梨華ちゃんを見つめることしか出来なかった。

『さよなら』なんて言ったら、もうそれまでな気がしたから絶対言わない。
『どうして?』なんて言ったら、きっと彼女は困るだろう。そしたあたしは泣くだろう。だから言わない。
『好きだ』なんて言ってもきっと彼女は困るだろう。そして曖昧に笑って行ってしまうだろうからこれも言わない。

最後にどんな言葉を言おうか考えれば考える程言葉は消えていく。
まだ見続けたい梨華ちゃんとの未来に繋がる言葉は全然見つからない。

こんなことをすればする程思うんだ。
あたしは全然気持ちの整理なんて出来てなくて、こんな状態で当日を迎えちゃって、
勇気もなければ発する言葉も持っていないって。

『どうしてこんなに臆病になるんだろう。』
そんなことは分かってるのに考えずにはいられない。
梨華ちゃんが何も言ってくれなかった。
だからあたしは置いてかれるんだ。
だけど手はまだ繋がってるんだ。
あれ?あたし全然分かってないじゃん。
梨華ちゃんの気持ち、思い、全然分かってないじゃん。
あ、だから訊きたかったんじゃん。

落ち着かないよ、全然ダメだよ。
時間が経てば経つ程落ち着かなくなってくよ。
ねぇ、どうして?
こんなこと言っちゃダメかな。本当にダメかな。

沢山のことを考えていたら、突然ベルが鳴り響いた。
いつの間にか滑りこんでいた電車。
見ていたと思っていたくせに梨華ちゃんのこと全然見てなくて、いつの間にか梨華ちゃんがあたしに
背中を向けていたことにすら気付かなかった。
焦るあたしをここに置いて、梨華ちゃんはあたしの手から消えて離れていく。

…待って、あたし何も言ってないじゃん。
何も梨華ちゃんに話し掛けてないじゃん。
これじゃ声が消えちゃう。
梨華ちゃんの記憶の中から存在だけじゃんくて声も消えちゃう。
ダメだよ、こんなのダメだよ。
…違う、ダメじゃない。
イヤなんだ、すごくイヤなんだよ。

何んだよ、何で今さらこんな現実感出てくるんだよ。
遅いよ、行っちゃうじゃん、梨華ちゃん行っちゃうじゃん!

 

気付いたら数メートル離れた所にいて、片足を電車の中に入れようとしていた彼女のことを追いかていた。
もう一度鳴り響くベルの音から引き離すように彼女の名前を呼んで、彼女の背中を抱きしめて、体をあたしの方に引っ張った。
トランクが大きな音を立てて倒れた。
そして彼女はあたしの腕の中に納まった。

動き出した電車の中から見られていると分かる視線を感じていても離せない。
離したら行っちゃう。
何もしないまま、本当に何も出来ないままで梨華ちゃんがいなくなっちゃう。
何が何だかよく分からなくなってきてるけど、何もしなかったら何も残らなくなっちゃう。
だから夢中で追いかけて呼び止めて抱きしめたんだ。

残されたあたし達と大きなトランク。
何か言わなきゃと思っているのに言葉は出てこない、肝心な言葉出てこない。
訊きたいことも、伝えたい言葉も、何も出てこなくて、あたしから出てくるのは情けないくらいに弱い
『イヤだよ』という言葉と、溢れてくる涙と、おまけな鼻水。

抱きしめたこの腕から伝わればいいのに。
気持ちも疑問も言葉も全て。

「…イヤだよ、こんなのイヤなんだよ」

言葉にならないから、同じことをただくり返す。
壊れたロボットのように同じ言葉をくり返していくうちに、やっと気付くあたしの中。

梨華ちゃんは、震えていた。
小さく、背中をひくつかせながら、声を殺して泣いていた。
回した腕に優しくかかる彼女の手。
それはさっきよりも熱くて、さっきと違って涙で濡れてた。

どうしてあたしはこんな時にまであたしのことしか考えられないんだろう。
どうして泣いていた彼女のこと、気付かなかったんだろう。
どうして、彼女は何も言わなかったんだろう。
…違う、言えなかったんだろう。
抱きしめた腕だけじゃ伝わらないけど、この腕にかけられた手と涙は教えてくれた。

 

 


このままでいいと思っていたあたしと、それだけじゃもう限界だった彼女。
伝わらなくたっていい。
これじゃダメだったんだ。
思い違いなんかじゃなかったあたし達の気持ち。
だけどもお互いに勇気がなくて一歩が踏み出せなくて、それでもあたしは今のカタチで満足をしていて、
彼女はそれじゃダメだった。

だから何も言わないままにあたしに黙って遠くへと行こうとした。
言ってしまったら決心は鈍るだろうし、言ってしまったらあたしがついて一緒に行ってしまうと思ったから。
いつか行きたいと言っていた大地。
募った気持ちを落ち着かせる為と自分に言い聞かせて、彼女は足をそこへ向けた。

たった一言。
だけどその言葉の大きさは文字数とは比べ物にならない。

今だからこそ、遠く離れた大地にいる彼女に
『どうしてそんな大胆なこと決める勇気があるなら告白しなかったのさ』
なんてこと言えるけど、あの時のあたし達にはそんな勇気がなくて、逃げて、逃げて、
ひたすら逃げて、何処かで境界線を越えるのに怯えてた。
満足してたんじゃなくて、怯えてたんだ、伝えることに、答えられることに。
なんとなく感じていた気持ちでも『もし』とか『だけど』とか言われたらどうしようって、
そういうことに怯えていたんだ。

そしておまけであたしは激しく勘違いまでしていた。
よく考えてみれば分かったことなんだけど、その時のあたしは全然分かってなかったこと。
あたしは梨華ちゃんが一生アメリカから帰ってこないのだと思っていた。
梨華ちゃんは冬休みを利用して行くだけだったのに、あたしは激しく勘違いをしていた。
駅のホームでこのことを言われた時、流れていた涙も鼻水も全部止めてあたしは止まった。
そして笑った。
そして誰も見ていないかなんて探ってから、一瞬だけのキスもした。

実はまだ『好き』って言葉は口にしてない。
お互いに告白しないまま、気持ちを確信しちゃったから、なんかチャンス逃しちゃったんだ。
だから今離れているこの時に言葉にするよ。
想いを声にして、気付かれないように届けるよ。
そしていつまでも守ってあげる。
だから、あたしのことも守ってね。
それはたまにでいいからさ。

あたしの前に梨華ちゃんが現れて、あたしに違った景色をくれたように、あたしも梨華ちゃんにもっと違う景色をあげるよ。
これから先も、ずっと先も。
離れている時は、この声を大空に投げるから。
ずっと、ずっと繋がっていよう。

 

 

あたしは梨華ちゃんを愛している。


 

 

 

 

 

恥ずかしくて今はまだ言えないけど、ここで大空に向かって叫んでおくね。

 

 

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