よく晴れた日。
重なった休みに外にも出ずに今日はせかせかお掃除なんてしてた日。
買い物から帰ってくると、珍しく吉澤くんが掃除の手を止めて窓辺に座り込んでいた。


「よーしざーわくん」

足音を殺して後ろからピたッとくっつく。
よっぽど集中していたのか白いTシャツを着た大きな背中がビクッと震えて、
その次にパサッと何かが落ちた音が聞こえた。
なんだろなんだろと思って吉澤くんの足元を覗き込むと、そこには平仮名で『よしざわひとみ』
と書かれたちょっと古ぼけたノートが落ちていた。

「…これ、って」

吉澤くんの背中がピクリと動く。
伸ばした腕がノートを掴んで、掴んだノートを私に渡してくれた。

「日記です、僕の小さい頃の」

見ていいの?
背中から離れ、吉澤くんの隣に座って目で言ってみたら、吉澤くんがちょっと照れくさそうに笑ってから
頷いて、鼻の頭をちょいちょいっとかいた。
表紙をめくると、そこには幼い字で書かれた字が並んでいた。

 

***

4がつ12にち土ようび はれ
きょうはボクのおたんじょう日だ。
ボクはきょうで7さいになった。
ぷれぜんととか、ケーキももらった。
あと、すごいしろいおヒゲをくっつけたカッケ−お月さまもごっちんといっしょにみた。

ボクのとなりのおうちにすんでいるごっちんはいつもねむたそうだ。
ボクが『ねむいの?』ってきくと、いつも『ごとうはしちょうきってやつなんだよ〜』といって
そのままコテンとねてしまう。
ボクがおもうに、たぶんそれは『せいちょうき』ってやつだとおもう。
まぁ、ボクがあそびたいときだってごっちんはク−すかねている。
そんないつもはおねむなごっちんだけど、ボクのおたんじょうびの日はがんばっておきて、
それでボクのいえにきて、ママやパパたちといっしょにおいわいをしてくれる。

おばさんといっしょにつくってくれたケーキをもって、いつもみたくねむたそうなかおで
『おめでと〜』っていってくれる。
ボクはそれだけですごくうれしくなる。
パパやママやともだちもいってくれるけど、ずっとずっとまえからママやパパいがいの人で
ボクに『おめでとう』っていってくれてるのはごっちんだけだから。
だからボクはこの『おめでと〜』をきくと、いつも本とうにおたんじょうびがきたんだなぁっておもう。
だからボクもごっちんのおたんじょうびがきたらかならず『おめでとう』をいってる。
きっとごっちんもボクみたく『おめでとう』をいわれたらうれしいとおもうから───

 

───ごっちんがもってきてくれたケーキもたべた。たくさんおはなしもした。
いつもはクーすかねてるごっちんが、きょうはめずらしくおきていた。
だからボクはたくさんごっちんとあそんだ。
だからあっというまにいつもみたくかえるじかんになっちゃった。
たのしかったからごっちんがかえっちゃうのいやだなーっておもってたら、
なぜかげんかんでごっちんがおばさん(ごっちんのママね)にてをふってバイバイをしていた。
ボクはなんでだろうっておもったからごっちんにりゆうをきいた。

「あのね、ごとうたちがもうしょうがくせいになったから、きょうはとくべつに
 よしこのところにおとまりしていーよってママがいってくれたの」

ん?ごっちんよくボクのいえにとまりにきてたよね?
そんなにめずらしいことじゃないよね?
あたまに?マークをたくさんうかべていたら、ママがそばにきてボクらのあたまをなでながら
『今日はちょっとくらいなら夜更かししてもいいからね』
こういってくれた。
ごっちんのほうをみたらいつものようにフニャッてわらってきもちよさそうに目をほそめていた。
そっか、ごっちんはしってたんだ。
…しってるならおしえてくれたってよかったのに。
ボクがブーっとほっぺをふくらませると、ごっちんもまねしてほっぺをブーってふくらませた。

 


ねむるまえ、ボクがおトイレからかえってくると、もうねちゃってるかなぁっておもってた
ごっちんがマドのところでクビをグ−ッとのばして外をみていた。
どうしたんだろうっとおもって、となりに行っておなじようにしてクビをグ−ッとのばして外をみてみた。
ボクは、ごっちんがずっと外をみていたワケがすぐにわかった。
そらにはキラキラのおほしさまがいて、ほそいお月さまもいて、そのお月さまには
おヒゲをはやしてるみたいにくもがくっついてた。
なんか、ちょっとカッケー。

「お月さま、カッケ−ね」
「んぁ、なんかキラキラしてるよね」

いつもお月さまはこんなにキラキラしてカッケ−のかな。
ボクがねているあいだもいつもこんなふうにカッケのかな−。
そんなふうにおもったら、ねるのがちょっともったいなくおもえてきた。
それからしばらく、ずっとふたりでそのカッケ−お月さまをながめていたらごっちんがポソッといった。

「あのね、なんかよしこににてるなっておもったの」

こう、いったんだ。
ごっちんはずっとそらをみていたけど、ボクはおもわずごっちんの方をみちゃった。
いつもよりもちょっとねむたそうなかお。
だけどジーッとお月さまをみて、ごっちんはもう一回いった。

「なんかね、よしこににてるっておもったの」

ボクはあんなにカッケくないよ?
それにあんなにキラキラしてないよ?
たくさんいったけど、ごっちんは『んー、よくわかんないけどそうおもったの』
こういってずっとお月さまをみていた。

ボクにもよくわかんない。
ボクあんなにカッケくないもん。
あんなにキラキラしてないし、おヒゲだってくっついてないし。
でも、ごっちんがジーッとお月さまをみて、そういった。
だからきっとボクはあのお月さまみたいなんだ。
よくわからないけど、そうおもうことにした。

そのあと、ちょっとしてからママがもうねなさいっていってボクらをおふとんのなかに
いれたんだけど、ボクはおふとんのなかでもずっとあのカッケ−お月さまをおもいだしていた。
キラキラしていて、しろいおヒゲをくっつけていて、ほそっこいけどおおきくてちょっとわらってるみたいだった。
ボクはあんなかんじなのかな。
どうなのかな。
ごっちんはどうしてあのお月さまをボクににてるっていったんだろ。
おふとんのなかにはいっても、ずっとずっとおなじことをグルグルぐるぐるかんがえてたけど、
やっぱりボクにはわからなかった。
もっかいごっちんにりゆうをきこうとおもったら、ごっちんはボクのおきにいりのねまきを
ギュッとつかんでぐっすりねていた。
きになったけど、なんかごっちんみてたらボクもねむたくなってきちゃった…

 

───ボク、この日にみたお月さまをきっとわすれないよ。
ユメのなかでボクはだれかにむかって、こんなふうにいっていた。

 

***

「僕、この日記を読む度にその月のこと考えるんです」

日記を読みながら話してくれた吉澤くんの昔の話し。
日記には残ってるけど、記憶には残っていない月。
小さい頃の吉澤くんにはどんな風にその月は映ってたんだろう。
同じようにごっちんのにはその月がどんな風に映っていたんだろう。
それは小さい頃の吉澤くんとごっちんにしかきっと分からないこと。
私は、どうだろ。
その頃同じ月を眺めていたんだろうか。
まだ自分と一緒にこうしている人のことなんて考えなかった時、同じような月を見ていたんだろうか。
そよ風が吹く窓辺で、吉澤くんの隣に座って、そんなことを考えていたらチャイムがピンポーンと鳴った。

「多分ね、予想通りの人だと思う」
「うん、僕と石川さんの予想してる人は同じ人だと思う」

ガチャッと開けたらほら、やっぱり予想した通りだ。
吉澤くんと顔を見合わせて思わず笑ってしまったら、買い物袋をぶらさげたごっちんが
玄関でコテンと首を横に倒した。

「ねぇごっちん」
「んぁ?」
「昔僕のことを月みたいって言ったの覚えてる?」
「は?よし子を月?後藤が?」
「うん、そう言ったの」

思わず笑顔になっちゃうよね、分かるよ、すっごく。
なんか楽しくてしょうがないよね。
ますますワケ分かんないって顔してるごっちんが、何だかいつも以上に可愛く見えてきて
思わずギュハーって抱きついちゃった。

「んぁー、後藤だけよく分かんないんだけど…」
「だいじょうぶ、それはボクもおなじだから」

小さい頃の記憶。
思い出せないかもしれないけど、それはきっとずっと消えないよ。

「…んぁ?」
「ま、気にしないで」

その時、その場所で、二人は同じ月を見てたんだから。