=秋を越え、冬がくる頃=
「今日も遅いんだっけ?」
「うーん、なるべく早く帰るようにはするけど、多分遅くなると思う」
「そっか。じゃぁ終わったら連絡ちょうだい」
相変わらず忙しい日が続いていた。
日中はお母さんが来てくれるけど、夜は梨華ちゃん一人になってしまう。
出来ればお母さんが来てくれてるうちに僕も帰ってきたいんだけど、多分今日も無理だろう。
「終わったらすぐ帰ってくるから」
「うん。ほら、パパにいってらっしゃいのチューは?」
梨華ちゃんに抱きかかえられた愛娘が一点だけをジーッと見ている。
珍しく今日は早く起きたみたいだから、まだ眠いんだろうな。
「行ってくるね。二人ともいい子にしてるんだよ」
まだ眠り続けている次女と、梨華ちゃんの腕の中ですでに眠ってしまいそうな長女の頭を撫で、
それから、寝不足で目の下に隈をつくってる梨華ちゃんの頭を撫でてから玄関の扉を開けた。
***
長い夏を終え、短い秋を越え、冬の気配が漂いはじめたのはつい先週の事だ。
年を迎えるごとに、一年一年は前の年よりも早く過ぎて行き、
年を迎えるごとに新しい何かが起こったりする。
仕事の事や、友達の事。そして、家族の事とか。
去年の冬に家族が三人になり、今年の夏、家族が4人になった。
超未熟児として生まれてきた次女も今月無事退院。
いつか二人だけで暮らしていた家の中は、その倍の家族が暮らすようになっていた。
「妹が出来て絵里ちゃんも喜んでるんでないかい?」
「そうですね、何かちゃんと分かるみたいなんですよね。
さゆみが泣くと、絵里も一緒に泣いたり、逆に絵里が泣くとさゆみが泣いたりしてますからね」
「そかそか。あーなっちも早く会いに行きたいなぁ。
矢口は放っておいて、なっちだけで会いに行きたいなー」
…言葉に毒が混ざってる。
何か喧嘩でもしたのかな。
「まぁ、そこらへんはご自由にどうぞです」
あっという間に過ぎていく一年。今年という年ももうすぐ終わり、新しい年を迎えようとしている。
今年も色々あったし、大変だったけど、楽しかったな。
来年はどんな年になるんだろう。
春になれば別れもあるけど、新しい出会いがまたある。
圭ちゃんもパパになるんだーとか言ってたし、ひょっとしたらひょっとするかも。
先の事なんて全然分からないけど、それでもいろんな事があるんだろうなって思う。
って、そんな事考える前にまずはこの仕事終わらせちゃわなきゃ。
これ終わらなきゃ帰れないし。
ちょっと気合いを入れて腕捲りをしたら、横から何故かみかんが転がってきた。
「いいよ、後はなっちがやっておくから」
「え、でも…」
「なっちからのフライングくりすますプレゼント。
いつも頑張ってるんだから、こんくらいで罰はあたんないっしょ。
ほれ、早く絵里ちゃん達のとこ戻ってあげな。
梨華ちゃんもきっと待ちわびてるはずだよ」
そう言って、安倍さんはにかーっと笑って僕の背中を叩いた。
正確には、背中を叩いて椅子から落とした。
天使みたいな笑顔のままで。
***
「ただいまー」
「あれ?よっちゃん??」
家に帰ると、部屋の奥から梨華ちゃんの声と、最近ずっと梨華ちゃんが聴いてる音楽が聞こえてきた。
何かしてるらしく、いつも玄関までやってくる彼女の声だけが飛んでくる。
それに答えながら着替て部屋に行くと、梨華ちゃんが申し訳なさそうにまだ何も出来てないと言った。
「いいよ、僕がやっとくから。
梨華ちゃんは絵里達と一緒に少し寝てなよ」
「でも…」
それでも食い付こうとする梨華ちゃんの目の下を指でなぞって、隈が凄いよと伝えると、
梨華ちゃんは眉毛をハの寺にして微笑んでからソファーに向かった。
すぐに聞こえてくる穏やかな寝息。
きっと僕以上に疲れていることだろう梨華ちゃんに毛布をかけ、
食器の積まれたシンクに向かった。
***
「よし、これで終わりッと」
最後の洗濯物をしまって部屋に戻ると、目を覚ました絵里がキョロキョロとしいた。
まだ寝ぼけてるのかな?あ、やっと僕に気付いた。
起きた絵里をだっこして、眠っている梨華ちゃんとさゆみの近くに腰を下ろすと
梨華ちゃんがもそもそッと起き上がった。
「ごめん、起こしちゃった?」
「…今何時?」
「もうすぐ7時」
「あーごめん、凄い寝ちゃった。すぐ御飯の準備するね」
「作っておいたから平気だよ。
もうちょっと寝てても平気だったのに」
「んー…ごめん、じゃなくて、ありがとう」
そう言った梨華ちゃんの顔は、さっきよりかは疲れが取れたみたいで、血色も良くなっていた。
空けてくれた隣に座って、絵里を抱き直す。
「さゆは?」
「まだ寝てる」
梨華ちゃんは一度さゆみの所へ行き、ちょっとしてから戻ってきた。
ソファーが少し沈み、その後に肩に梨華ちゃんの顎が乗ってくる。
「その体勢きつくない?」
「いや、ほら、頭乗せちゃうとほっぺにチュー出来ないじゃない?」
直後、梨華ちゃんの唇がむちゅーっと頬に降ってきた。
へへっと笑って、今度は肩に乗ってきた頭の上に、自分の頭は少し寄せ、
数年前とは大分変わった部屋を見渡した。
この先、ここでどんな思い出がつくられて行くのだろう。
絵里やさゆみは、どんな子になっていくのだろう。
考えただけでもわくわくする。
そして、もっと頑張らばなきゃなって、そう思う。
「どうしたの?」
「ん、何でもないよ」
もう一度頭を乗せ直し、少しの間だけ目を閉じてみた。
冬の夜、外の寒さが嘘に思える程に暖かい部屋の中で、
僕はこれから訪れる未来を想像し、隣でうっとりと目を閉じている梨華ちゃんの髪頬を寄せた。